金魚のまち長洲町

歴史と文化

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古庄文書 古庄文書 [文化財]
 この古庄文書(ふるしょうもんじょ)安土桃山(豊臣)時代・江戸時代初期の旧腹赤村の検地帳及び江戸後期の庄屋文書等になります。特に天正の検地…
二宮八幡宮の鰐口 二宮八幡宮の鰐口 [文化財]
 鰐口とは、仏具の一種で金属製の丸型の形状をしている参拝者がたたきならす器具のことを言います。
 長洲町史によると当八幡宮の奉納金工物で…
44_17_pp1_3IPOX3J8.jpg 梅田天満宮の玉藤群


宝暦6年(1756年)梅田天満宮社殿改築により植樹されたものといわれており、現在樹齢200年以上を経た藤の木です。
44_18_pp1_AT7IVK3M.jpg 六栄小のケヤキ


このケヤキは、長洲町ではまれに見る箒立状の姿をした大木です。

44_1_pp1_43DGPVMD.jpg 六地蔵石憧


 この石幢は、長洲町庄屋の久兵衛らによって江戸時代中期の享保8年(1723年)に建てられたものです。石幢は普通7種類の石…
44_3_pp1_OQGI1Z4B.jpg 古墳改葬之碑


 200年ほど前の寛政3年(1791年)10月から島原半島で地震や小さい噴火が群発し、翌4年4月1日には、大地震が起こり…
44_4_pp1_3HQ2WUHB.jpg 新塘


 江戸時代の初期、寛文4年(1664年)に築かれたということになっていますが、その後、長い年月をかけて石垣の立派な堤防が…
44_5_pp1_LPLQWA61.jpg 御腰の石


景行天皇がクマソとの戦い後、八代-島原を経て長渚ノ浜に着かれ、深田浦でお休みになり、腰を掛けられたという言い伝えがあり…
44_6_pp1_OGB7B0M0.jpg 放牛地蔵


この地蔵は、熊本の放牛という僧が刻んだもので76体目のものです。放牛は、父の死は自分の責任であるとして、その菩提を弔う…
44_7_pp1_LV567N6D.jpg 海難碑


 明治26年10月13日、少し雨や風がある中、190隻余りの船に約380人の漁師が乗り込み、漬けアミにするアミを獲りに出…
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