古庄文書 最終更新日:2016年10月24日 この古庄文書(ふるしょうもんじょ)安土桃山(豊臣)時代・江戸時代初期の旧腹赤村の検地帳及び江戸後期の庄屋文書等になります。特に天正の検地帳は肥後国人一揆後の天正十六年(一五八八年)に実施された公検地の検地帳と考えられ、後に行なわれた加藤清正による、天正検地、慶長検地にも踏襲された本帳であると思われます。 またこの文書には柳川より一人の女性が腹赤の阿弥陀寺を訪れ、その後亡くなられたとの記述があり、この女性が立花誾千代(ぼたもちさん)のことではないかと言われています。